伊勢芦屋(伊勢釜)
伊勢芦屋(伊勢釜)とは
新羅様式の煮炊き釜を造っていた伊勢の鋳造地に漢様式の芦屋釜を造っていた筑前の鋳物師が移り住み、新たな和様式の造形を模索し創造された茶之湯釜が伊勢釜です。
和様式の茶之湯釜としては古くから有名で、室町時代末期より茶会などでも使われ「太閤秀吉」や「千利休」からも所望されました。
伊勢釜の特徴として
鉄肌は美しく、文様の押し出しも博多の工人に匹敵するほど細かく繊細です。
材質は犬山城より木曾川を三里ほど遡った沿岸にて冶金された磁鉄の和銑によって造られているので腐食しにくく黒い鉄色です。
また、塩屋釜や葛屋釜、傘釜など他の釜作地にはない多彩な造形の美を見せています。
伊勢釜の起源
永正年間(1504~1521)に芦屋鋳物師「行信」が伊勢山田の常明寺に香炉を納める。
天文年間(1532~1555)に芦屋鋳物師「大江宣秀」が伊勢皇大神宮に香炉を納める。
など、室町時代後期には芦屋と伊勢の交流を記す文献が残っています。
また、松屋会記には天文8年~天正2年までに「伊勢釜」を使った記録が6度ありますので、
大内義孝暗殺(天文20年)より前に室町時代末期(天文8年以前)には芦屋より伊勢に鋳物師達が移り住み、伊勢釜を造っていた事になります。
桃山時代には「辻越後」という鋳物師が有名になり、多くの茶人達から伊勢釜が所望されるようになります。
慶長10年藤堂景虎が芦屋の工人「奥山氏」を伊勢に招きました。
寛政の頃(江戸時代初期)、辻氏の衰退により腕利きの工人である「奥山金吾」が伊勢釜の鋳物師として有名になりました。