商品説明
大小3種類の霰の中に巴紋が入る非常に手の込んだ霰地紋で、下部の胴部分にはには網目のような網代紋が広がっている。
口の立上りも鋭く釜全体の形を引き締めていて、細部にまで拘って制作している。
筑前芦屋から離れ、新しく触れた外来文化との融合を実現していった茶之湯釜をご覧ください。
長野先生とは別に1902年(明治35年・壬寅)に江戸時代前中期(元禄時代)の江戸大西家の五郎左衛門の作だと「大西清右衛門13代浄長」も極めています。(36歳と若い時に書いた極めです。)
(年代や鑑定内容から考えますとおそらく2代目五郎左衛門30歳~40歳が造った作品だと極めています。)
これだけ手の込んだ表現を侘茶全盛期の時代に釜屋・釜師系で作るとは思えません。
また技術力の高さから考えますと30歳~40歳の時に造った釜だとしたら2代目五郎左衛門だけでなく隠居名を名乗るなど名工として有名になっていると思います。
よって、私にはこの釜が江戸時代前中期の五郎左衛門作だとは思えません。